如月
【名前】
如月 【紹介】
1924年6月3日、舞鶴工作部にて「第二十一号駆逐艦」の艦名で起工。1925年12月21日に。睦月型駆逐艦2番艦として竣工し、佐世保鎮守府に所属した。当時は駆逐艦の大量建造計画があったため、名前不足を懸念して「第21号駆逐艦」と名付けられてたが、ワシントン海軍軍縮条約によってその計画が頓挫し、名前が足りるとわかったことから1928年8月1日附で「如月」と改名された経緯をもつ。 実は竣工は睦月型では五番艦の皐月についで二番目で、一番艦の睦月よりも早いかったりする。また睦月型で試験的に迷彩塗装(ダズル迷彩)を施されたのは1番艦の睦月のみという説が有力だが、資料によっては如月にも迷彩塗装が施された、という説もある。 竣工後は睦月・弥生・卯月と第三十駆逐隊を編成していた。
しかし1932年1月の第一次上海事変、1937年8月上旬の第二次上海事変により日中戦争が勃発。これに際して艦隊の一部再編成が行われ、そこで卯月が第23駆逐隊に転出、代艦として睦月型駆逐艦「望月」が30駆に編入された。
ちなみにこの日中戦争中、30駆は中支、南支方面に進出。揚子江での作戦に際し、宣撫活動として住民に塩を配ったところ、戦争の影響で塩が大変な貴重品になっていたためかとても感謝され、お礼として12~3歳の娘を渡されそうになり、如月の「板倉光馬」航海長が泡を食って狼狽しながら突き返したという逸話がある。 太平洋戦争開戦3日目の12月11日、如月たち30駆は旗艦「夕張」らとともに真珠湾攻撃に続いて実施されたウェーク島攻略戦に参加した。
これに先んじて日本海軍は空爆による基地戦力の無力化を行い、敵A・L砲台とF4Fワイルドキャット戦闘機をほぼ壊滅させたと思い込んでいた。だが実際には両砲台は健在であり、F4Fも4機ばかり無事だったのである。ウェーク島基地の指揮官「ウィンフィールド・カニンガム」中佐と「ジェームズ・デベル」海兵隊少佐は日本軍が油断しているのを確信すると密かにF4Fを現地改修で爆装させ、息を殺しての待ち伏せ作戦を決行した。 12月10日夜半にウェーク島へ到着した如月ら攻略部隊は上陸舟艇をおろそうとしたものの、外洋の強風と波浪により作業は難航。これに業を煮やした梶尾攻略部隊指揮官は各艦に対地砲撃と直接揚陸を指示。駆逐艦「疾風」「如月」、軽巡洋艦「夕張」「天龍」「龍田」が島に接近して砲撃を開始した。その直後にA・L砲台が発砲。思わぬ反撃に艦隊は混乱し、直撃を受けた「疾風」は轟沈。さらにF4F戦闘機が空襲を開始した。 これにたまりかねて日本艦隊はクェゼリンへの退却を開始したが、先に下ろした揚陸艇が邪魔で思うように身動きができず、加えて直衛機の居ないことを確認したポール・A・パットナム少佐率いるF4F戦闘機4機はその積極さを増し、反復襲撃によって身動きの取れない日本艦隊にこれでもかと言わんばかりの爆撃と機銃掃射を見舞った。
その内の一つが如月の魚雷(または対潜用の機雷)に直撃し、激しい誘爆を起こす。艦橋と二番煙突の半分とマストは豪快に吹き飛び、艦は2つに折れてまたたく間に轟沈してしまった。
この時如月が装備していた対空兵装は7.7mm機銃が2丁だけという。
これによって艦長以下の如月乗員は全滅し、生存者は居なかったという。 日本海軍の戦闘艦艇の中でも3番目に早い喪失艦となり(1番目はハワイ近海で戦没した「伊70」、2番目は如月の直前に沈没した神風型駆逐艦「疾風」と言われている)、睦月型のなかでも突出して不幸な艦と紹介されることがある。 【声優】
一城みゆ希 【作品】
劇場版 はいからさんが通る 後編 〜花の東京大ロマン〜 【Youtube動画】
https://www.youtube.com/watch?v=UKK0bjj2Lbw 【更新日付】
2020/08/31 03:11:15