Anipedia(アニペディア) > キャラクター > ラスプーチン
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ラスプーチン

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【名前】 ラスプーチン 【紹介】 ラスプーチンは帝政ロシア末期の聖職者(一応。生殖者でも性職者でもない筈)。 フルネームはグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン。(Григорий Ефиммович Распутин) 1904年にサンクトペテルブルクで人々に病気治療を施して信者を増やし、皇族ニコライ大公の妻アナスタシヤ大公妃に取り入って政治に関与する。 イギリス女王ヴィクトリアに由来する血友病に苦しんでいた皇太子アレクセイ(ヴィクトリア女王の曾孫の一人)の治療にあたり、その病状を小康状態にしたことから皇帝一家からも高い信頼を得たと言う。 1916年12月29日、皇帝の従弟にあたるドミトリー大公らの手により暗殺される。 だが彼は只では死ななかった。 先ず食事に毒を盛っても効果なく、燭台で殴っても銃で撃っても反撃してきたので蛸殴りにして魔羅を切り落とした後です巻きにして川(冬なので凍っている)に投げ込んでようやく三日後に息絶えたものの死因は「溺死」だったという。 更に暗殺の数日前にニコライ2世に謁見した際に「私を殺す者が農民であれば、ロシアは安泰でしょう。もし、私を殺す者の中に陛下のご一族がおられれば、陛下とご家族は悲惨な最期を遂げる事となりましょう。そしてロシアは長きにわたって多くの血が流されるでしょう」と言い残した。 それは現実となり、翌年のロシア革命から第二次世界大戦を経て、スターリン体制の下で多くの人命が失われ、皇帝一家をはじめとした貴族も悉く殺された。 実のところ、ラスプーチンの暗殺に皇族が関わったため、警察の捜査も十分ではなく、それが様々な伝説の遠因となったとされる。なお、ラスプーチン殺害を実行したドミトリー大公は亡命して生き延び、第二次大戦中に結核によって死去した。その長男はアメリカ・フロリダ州はパームビーチの市長となって平穏な余生を送ったという。 その謎に満ちた人物像から様々な逸話を遺し、またもじゃもじゃの髭を蓄えた奇怪な姿から「怪僧」等とも呼ばれ、史実を基にした創作物では悪役として人気が高い。 しかしその反面、帝国崩壊の大きな一因であり、歴史的な人物としては極めて評価が低く、現在のロシアでも完全に悪人扱いであり、多くを語られない。 「ラスプーチン」という同姓であるだけでも嫌がられ、改姓する者が後を絶たなかったという。 なお名前が似ていると良く言われるプーチン首相だが、日本人で例えると林さんと前林さんみたいなもんで、全く関係は無い。ただし、プーチン首相の先祖も改姓した一人という説が存在する。 とは言え、当時のロシア国内では民衆の不満が溢れ、国外からは戦争の危機に晒され続けるなど、既にギリギリの状態であり、ラスプーチンが居なくともロシア帝国は崩壊していただろう、とも言われている。 彼の存在はあくまで帝政崩壊の「一因」であり、決して全ての元凶というわけではない。 また実のところ、ロシア史に大きく影響を与えた人物であるにも関わらず、「あまりに胡散臭いためにあまり研究が進んでいなかった」という事情も抱えており、彼の人物像、そして彼の歩んだ足跡は、未だ諸説に割れる部分が多い。 【声優】 田中正彦 【作品】 DRIFTERS 【Youtube動画】 【更新日付】 2020/08/31 02:02:11
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