蒙恬
【名前】
蒙恬 【紹介】
斉から移り住み、祖父蒙驁の代から秦に仕えていた蒙氏の出身で、当初は文官として仕えた。父は蒙武、弟は蒙毅。
始皇帝の武将として名高い。紀元前224年に将軍李信の副将として楚を攻め、当初は大勝する。しかし李信と合流した後に追撃してきた楚将項燕に大敗する。その後家柄から再度将軍に任じられ、李信、王賁と共に斉を攻め、こちらは滅亡に追いやることに成功する。 その後匈奴を30万の大軍で攻めてオルドス地方を奪回し、また摘発した不正役人を動員しての万里の長城(現在よく知られる石造りの長城とは別)の築城にも着手した。蒙恬が任地に遭った間、匈奴はその防備を突破することができず、中原に進行することができなかった。
これらの功績を始皇帝に賞賛されたことや、その有能さから弟・蒙毅も抜擢されたことで、蒙氏兄弟は清朝の重鎮として知られるようになる。
またこの頃、父に疎んじられていた太子扶蘇が左遷されて蒙恬の元に派遣されている。
ただし、この太子扶蘇の派遣については、他の公子が「官職につかない限りは無位無官の匹夫、庶民同前ととして扱う」とされた中での「軍監」という職務を与えたうえでの抜擢であり、かつ軍権を握る蒙恬をバックにつけることで、太子の地位を固めたというのが実情である。 紀元前210年に始皇帝が没すると、その死に乗じて末子の胡亥、宦官の趙高、宰相の李斯が権力掌握を狙い、邪魔な扶蘇と蒙恬に始皇帝の名を使った偽の詔書を送って自害を命じた。
蒙恬はこれの真偽を疑い、事実確認がとれるまで自殺は思いとどまるよう扶蘇に進言するが、扶蘇は疑うこと自体が義に反するとして自害してしまう。
蒙恬もしばらくはこの命に抵抗していたが、皇帝となった胡亥に再度自害を命じられると止むなくそれに従い、毒を仰いで自殺した。ただし、この偽の詔書は胡亥や趙高らの悪評に基づいた後世の創作である可能性が高い(事実だとしても記録に残すはずが無いため)。 将軍としても斉国統合、匈奴撃退などの比類無い功績を挙げたが、行政官としてもまた有能であり、万里の長城建設や道路開設のために摘発された不正役人を預けられながらもよく統率し、工事を完了させている。
(一般に『民衆を酷使した』といわれるがこれは大間違いであり、始皇帝時代に動員されたのは不正役人、囚人、逃亡者、正業に就かない者などに限られていた)
これらの事業は今現在の目で見ても大事業であるが、それを法を破ったことのある者たちを用いながら反乱もさせず、短期間で成し遂げた業績は、軍人としてのみならず行政官としても有能であったことを示している。
李斯を脅したときの趙高も「扶蘇が即位すれば、蒙恬が丞相となる」と評したが、弟の蒙毅が始皇帝の枢機に参画していたことと合わせて、蒙恬は本来ならば秦朝を支えるべき柱石であった。
(皮肉にも、そのことが李斯をして趙高に膝を屈するきっかけとなり、蒙氏兄弟の、ひいては秦朝の崩壊にもつながったのである) 【声優】
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– 【更新日付】
2020/08/30 15:34:03