array(1) {
[0]=>
array(9) {
["id"]=>
string(5) "14307"
["name"]=>
string(12) "藤堂平助"
["img"]=>
string(13) "14307_img.jpg"
["desc_txt"]=>
string(1784) "弘化元年(1884年)江戸にて誕生。出自には諸説あり伊勢津藩主藤堂高猷のご落胤とも言われるが、旗本藤堂家の出身であるとする説が有力である。
北辰一刀流玄武館で剣を学び目録を得る。深川の伊東甲子太郎(当時の名は伊東大蔵)の道場に出入りする他、近藤勇の試衛館の食客となる。
試衛館の面々とともに浪士組に参加し上洛。京に残り、壬生浪士組(後の新撰組)を結成した。 池田屋事件では近藤らとともに最初に乗り込み、刀がボロボロになるほど奮闘したという。暑さのあまり鉢金を脱いだ隙を突かれ、眉間に深手を負い昏倒するが生き延びた。
その後、江戸にて隊士募集を行った際、かつての師である伊東甲子太郎と、その門弟や同志多数を引き込むことに成功。藤堂は引き続き江戸に残り、次の募集に備えての根回しを行った。 伊東甲子太郎らが御陵衛士を拝命し新選組を離脱するとこれに参加。南部与七郎と改名し、英語や砲術を学ぶ。美濃国の大博徒水野弥太郎に接触し勤皇活動への協力を取り付けるなどの功績を挙げた。また坂本龍馬暗殺の当日、伊東とともに近江屋を訪れ、龍馬と会談していた。
伊東が新選組によって暗殺された夜、遺体奪還のために他の御陵衛士と油小路へ向かう。そこで待ち伏せていた新選組と戦闘になり、服部武雄、毛内有之助とともに討死した(油小路の変)。試衛館以来の同志である永倉新八は藤堂を逃がそうとしていたが、事情を知らない隊士によって斬られたという。"
["contents_id"]=>
string(4) "1167"
["actor_id"]=>
string(4) "1572"
["youtube_url"]=>
string(43) "https://www.youtube.com/watch?v=ApTswhsA1R8"
["date"]=>
string(19) "2020/08/31 03:49:35"
["deleted_flg"]=>
string(1) "0"
}
}
藤堂平助
【名前】
藤堂平助 【紹介】
弘化元年(1884年)江戸にて誕生。出自には諸説あり伊勢津藩主藤堂高猷のご落胤とも言われるが、旗本藤堂家の出身であるとする説が有力である。
北辰一刀流玄武館で剣を学び目録を得る。深川の伊東甲子太郎(当時の名は伊東大蔵)の道場に出入りする他、近藤勇の試衛館の食客となる。
試衛館の面々とともに浪士組に参加し上洛。京に残り、壬生浪士組(後の新撰組)を結成した。 池田屋事件では近藤らとともに最初に乗り込み、刀がボロボロになるほど奮闘したという。暑さのあまり鉢金を脱いだ隙を突かれ、眉間に深手を負い昏倒するが生き延びた。
その後、江戸にて隊士募集を行った際、かつての師である伊東甲子太郎と、その門弟や同志多数を引き込むことに成功。藤堂は引き続き江戸に残り、次の募集に備えての根回しを行った。 伊東甲子太郎らが御陵衛士を拝命し新選組を離脱するとこれに参加。南部与七郎と改名し、英語や砲術を学ぶ。美濃国の大博徒水野弥太郎に接触し勤皇活動への協力を取り付けるなどの功績を挙げた。また坂本龍馬暗殺の当日、伊東とともに近江屋を訪れ、龍馬と会談していた。
伊東が新選組によって暗殺された夜、遺体奪還のために他の御陵衛士と油小路へ向かう。そこで待ち伏せていた新選組と戦闘になり、服部武雄、毛内有之助とともに討死した(油小路の変)。試衛館以来の同志である永倉新八は藤堂を逃がそうとしていたが、事情を知らない隊士によって斬られたという。 【声優】
吉野裕行 【作品】
薄桜鬼 黎明録(第3期) 【Youtube動画】
https://www.youtube.com/watch?v=ApTswhsA1R8 【更新日付】
2020/08/31 03:49:35