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伊予松山藩の中間(藩士に雇われた雑用係)だったが、のちに出奔。大坂で、後に新選組隊士となる谷万太郎から種田流槍術を学んだ。
その後江戸に出て浪士組に参加し上洛。近藤勇らとともに京に残り、壬生浪士組(後の新撰組)を結成した。 局長芹沢鴨の粛清や池田屋事件をはじめ、新選組の主だった暗殺や斬り合いの殆どに関わったとみられる。副長助勤や組頭のほか、勘定方(会計)を務めたこともある(何らかの処分によるものなのか、実際に算術に優れていたためなのかは不明)。
また坂本龍馬暗殺(近江屋事件)の下手人として疑われた(下手人は伊予訛りであったという中岡慎太郎の証言、暗殺現場に落ちていた鞘が原田のもの(差し料)だという御陵衛士の鑑定などから)。しかし、実際は龍馬暗殺と新選組とは関係がなかったといわれている。 戊辰戦争が始まると鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦いを戦うが、永倉新八らと新撰組を脱退し靖兵隊を結成。
ところが江戸を発ってすぐに隊を離れ、江戸に戻り彰義隊に加わる(参加が遅かったためか彰義隊名簿には名が載っていない)。上野戦争の際に負傷し、その傷がもとで慶応4年5月17日に死亡したとされる。 後述のあだ名に相応しく、戊辰戦争を生き延び大陸に渡って馬賊の頭目になったという生存説も伝わっている。"
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原田左之助
【名前】
原田左之助 【紹介】
1840年~1868年7月6日
伊予松山藩の中間(藩士に雇われた雑用係)だったが、のちに出奔。大坂で、後に新選組隊士となる谷万太郎から種田流槍術を学んだ。
その後江戸に出て浪士組に参加し上洛。近藤勇らとともに京に残り、壬生浪士組(後の新撰組)を結成した。 局長芹沢鴨の粛清や池田屋事件をはじめ、新選組の主だった暗殺や斬り合いの殆どに関わったとみられる。副長助勤や組頭のほか、勘定方(会計)を務めたこともある(何らかの処分によるものなのか、実際に算術に優れていたためなのかは不明)。
また坂本龍馬暗殺(近江屋事件)の下手人として疑われた(下手人は伊予訛りであったという中岡慎太郎の証言、暗殺現場に落ちていた鞘が原田のもの(差し料)だという御陵衛士の鑑定などから)。しかし、実際は龍馬暗殺と新選組とは関係がなかったといわれている。 戊辰戦争が始まると鳥羽伏見の戦い、甲州勝沼の戦いを戦うが、永倉新八らと新撰組を脱退し靖兵隊を結成。
ところが江戸を発ってすぐに隊を離れ、江戸に戻り彰義隊に加わる(参加が遅かったためか彰義隊名簿には名が載っていない)。上野戦争の際に負傷し、その傷がもとで慶応4年5月17日に死亡したとされる。 後述のあだ名に相応しく、戊辰戦争を生き延び大陸に渡って馬賊の頭目になったという生存説も伝わっている。 【声優】
遊佐浩二 【作品】
薄桜鬼 黎明録(第3期) 【Youtube動画】
https://www.youtube.com/watch?v=F4Vz703DgKs 【更新日付】
2020/08/31 03:49:40